古本屋で見かけて、ぜひ欲しい、絶対欲しい、と思っていた本が、買いに行った時になくなっていて猛烈にヘコむ。というか泣きたい。前にも書いたかも。よくあること、とも思うし、自分の不断が憎くもある。ああ、本当、手に入れたかったんだよなあ。あああ。


このついでに、書いておいてしまうけど、なんでいまの朝日選書の中国古典選には、『三体詩』とか『唐宋八家文』とかが入ってないんだろうな。
参考:三体詩 - Wikipedia
参考:唐宋八大家 - Wikipedia
『三体詩』については、

唐詩選」がおもに唐詩雄大壮麗の一面をあらわすとすれば、「三体詩」からは静寂閑適のおもむきと繊細な感覚を受けとることができるであろう。*1

といわれるように、『唐詩選』では見えない唐詩の別の側面を見せてくれる資料として重要だと思うのだけど、(戦後の)日本語の注解が読めるのは(昔の)中国古典選だけだった(はず)。この注釈書は単行本だけでなく、朝日文庫で文庫本にもなっているが、こちらも今は絶版。『唐詩選』が入った朝日選書に『三体詩』は入らず、『三体詩』が読めるのは図書館か古書店でのみ、なのである*2。ううむ。

でも、実は『三体詩』が読めないのはそれほど重大なことではないのかもしれない。ここまで書いておいてなんだけど。
確かに『唐詩選』ばかりやたら出版されていて偏った感じはするのだけど、いま漢詩を読もうという人には、むかしと違って『唐詩選』以外にいくらでも入り口はあり、とくに『三体詩』(という古い選集)で補おう、としなくても広く唐詩に接することができるはずだ。『中国名詞選』(岩波文庫 全三巻)なら、さらに広く、詩経から毛沢東まで見ることができるし。
だから、『三体詩』が読めなくてもたいしたことではない、かもしれない。この集が収める詩を、別の(容易に手に入れられる)本でみることができる、かもしれないのだから…?

*1:小川環樹唐詩について」 『唐詩選 (下)』前野直彬 注解 岩波文庫 所収

*2:読めるならいいじゃないか、と思うかもしれない。それは正しいと思う。「買って手元に置く」ことを前提に書いていたのでこんな言い方をしている