佐伯先生と私 3

「挨拶もしないのは、それがいつものやり方だからさ。僕も彼女も、そんなことは気にしない」
「…先生、それって、今の話とどう関係するんですか?」
「いや、関係はない」
はあ、と私は間の抜けた答え方をした。先生はときどき妙なことを言う。この前だってそう。あの後、もう一度天井を見上げたら、文章は跡形もなく消えていた。尋ねてみたら、当の先生は「何のこと?」なんて言う。そんなやりとりが、何回か。結局、本当に忘れているのか、はぐらかされただけなのか。それすらわからずにいる。
私の周囲で、先生の評価は「変な人」の一語で尽きる。私もそう思う。でも、ときどき変なことを除けば、普通の、いい先生だ、とも思う。質問にはかなり丁寧に答えてくれるし。
「もう一つ、別のタイプの帰納法もあるけど、とりあえず、今日はここまでおさえておけばいいと思う」
「はい。ありがとうございます」
一礼すると、先生は廊下をそのまま歩いて去っていった。部室は、この上の階にある。階段を上ろうとして、ふと、先生の歩いていった方を見た。廊下の向こう。教室のドアから手が伸びて、先生の腕を捕まえたのが見えた。あそこは空き教室のはず。誰がいるんだろう。
「よう、渋谷」
階段の上から、声が聞こえる。私は階段を見上げる。